ロゴスの使いーことばのふしぎ発見ー

人とことばは切り離すことはできない関係にあります。筆者の関心のある言語学(社会言語学・談話研究・語用論)の知見から、時には言語教育や海外事情など、言語と社会について書いていこうと思います。何も難しいことではありません、何気無く使っていることばを、ちょっと立ち止まって考えて見ませんか。

家族というコミュニティ

家族

もはや、言語学に関係などあらず。友人にも告知せずにブログをやっているので、アクセスが伸びる日などは、何を間違えてこのブログに来てしまったのだろう、と思うのである。だから、気兼ねなく適当なことを書き続けていきたい。ましてや今日の話は昨日感じたことを忘れないためのメモである。

我が家は昨日、曽祖母の3回忌の法要を終えた。この時代には珍しい少し大きな家族で出来ている。ただし、純粋に、苗字が同じということではない。曽祖母の家がもともと養子をもらっていたり、そういう関係で2家に分かれ、その子供が結婚し、そこから孫やらひ孫が生まれ、現在では4つの苗字で一つの家族というコミュニティが形成されている。苗字こそ4つだが、家族はそれ以上にいるわけだから、一緒に食事しても会話はあちこちで別々に行われている。

曽祖母(享年93歳)の生前、その旦那(つまり筆者の曽祖父)の50回忌をやったことがあった。これは大変、珍しいことである。だいたい、それまでに共倒れしてしまう。

筆者は本家(というのも仰々しいが)の初孫であり、とりわけ可愛がられた。小さい頃は毎週のようにおばあちゃんを訪れ、何か行事があれば、お団子を作ったり、餅をついたりした。お小遣いだって行くたびにもらえた。人はいつか終わりを迎えることなど、はなからわかりきっていたことだ。しかし、ずっとおばあちゃんはおばあちゃんであり続けると思っていた。お盆には牛馬さんを作り、庭からほおづきをとって飾り付けたり、おしょろさん(とよくおばあちゃんは言ってた)にご飯をお供えしたり。とりわけ、おばあちゃんの煮物は美味しかったし、天寄せ(フルーツの寒天)が好きだった。しかし、一昨年の今日(だったと思うが)、亡くなってしまった。

思い出はまだまだ尽きないが、それは心の中にしまっておこう。みんなで食事をしている時に、その家を処分するだとか、遺産相続の話に及んだ。まあ、そもそも筆者のような若造には決定権もなければ、口出す資格はないし、遺産なんかもらえない(そんなものがあるのかも怪しい)。結局、本家の長男は実家を離れ家族を持っており、実家に戻る気もないという。長男というのは曽祖母の息子夫婦の息子のことで、おばあちゃんの孫であり、筆者の父とはいとこになる。いづれにせよ、その長男はその家を両親が亡くなったら、処分する考えでいる。筆者はそれは悲しい、思い出がいっぱい詰まった家だが、それを決める本人が一番辛いに決まっている。だから、そのことについてはおじさんの考えを尊重したい。だが、それではいけないという人も中にはいる。皆、それぞれの立場があることは十分わかる。けれでもかなり真面目な話し合い(ひいおばあちゃんの話なんて全然出てこない)で、少し怖かった。

筆者は全面的にそのおじに賛成である。というのも、家1、2軒壊すくらいで騒がないで欲しい。みんな悲しい。そこで育ったものがいる。お盆にはみんなで花火をしたり、正月には箱根駅伝を応援したり、そんな家を壊してほしくはない。だけど、おばあちゃんが残したのは、残したかったのは、そんな家じゃない。おばあちゃんがいるというだけで、個性豊かなこの家族は今まで保たれてきた。直接的に血は繋がってないかもしれない、けれどもやっぱり家族なのだ。おばあちゃんがいつも言っていた「みんな仲良くしなさい」を今一度思い出して欲しい。家族という形がどんどんと変化して行く中、これほど奇有な大きな家族はいない。おばあちゃんがおよそ1世紀かけて作ってくれたこの家族を家を潰す、潰さないのくだらない話で関係が悪化するようなことがあれば、それこそ祟られるだろう。これから死んでいく人も多い。今までのように集まることができなくなる日も来るかもしれない。それでも、命ある限り、みんなで仲良くしていきたい。これが今思う願いである。

私とは何か

書きたいこと、考えていることはあっても、どうもブログということもあるのか長続きしない。たまたま読んでくれている友人(奇特な人だなと思うのだが)からの勧めもあり、また適当に筆をとっていきたいと思う。

 

私は8月の終わりから9月の半ばにかけてヨーロッパに行ってきた。写真を載せるほど器用ではないので、嘘かと思われるかもしれない。いづれにせよ、パリに拠点を置き、まずはアルザスストラスブールコルマールを訪れた。伝統建築のハーフティンバーは有名である。日本では東京の原宿駅がまさにこの造りになっているが、東京オリンピックのために壊されてしまうという。フランス国内ではシャンパンで有名なランスでワイナリーの見学をした。幸い、現地に知り合いに運転してもらい、延々と続くワイン畑を楽しんだ。知り合いといっても御年67のおばさまに運転を強要させたことに後ろめたさを感じている。ヨーロッパは旅行しやすい国で、チェコプラハにも行ってみた。素朴な街で、夜はオペラを楽しんだ。生まれ変わったらオペラ歌手になりたいものである。

 

私とは何か

私は旅行に出かける時、必ずトランクの片面に本を押し込む。勉強の本なんて一切持っていかない。その時の気分に読みたいものを買ったり、訪れる地に関連する本などが多いが、どれも文庫だったり新書だったりする。その中でも今回、惹かれは本は平野啓一郎『私とは何か』である。大変面白い試みをされている本で、彼はindividual(個人)についてまず、個人とは肉体的にこれ以上細分化できない最小単位であるという紹介をしている。ところが、私たちは友人といる時と、会社の上司といる時では何かが違う。さらに、友人Aと友人Bとではその時の自分はちょっと違うかもしれない。そうした心的な、対人的な自分「たち」を平野はdividual(分人)として考えることで、人間関係の悩みも軽減すると考えている。

英語学的に面白いのは、"in"というのは接頭辞(prefix)と呼ばれ、語の先頭についてその意味を左右することがある。例えば、テレビの占いなどではhappyに対してunhappyなどと言っているが、この時"un"は否定的な意味で使われている。"in"も同じである。dividualというのは、もともとdivide(分ける)という動詞であるから、"in"がつくことで、もうこれ以上分けられないもの、ということから「個人」という意味を持った。なので、dividual(分人)とは内なる私の私たちということになる。

実際、筆者を例にとってみよう。家にいるときは、兄という顔があり、親といるときは息子という顔になる。ところが内弁慶な筆者でも一歩外に出れば猫をかぶるのは日常茶飯事。大学では、院生として。教師としての顔もある。大学では媚びへつらってなんでも先生の言うことを聞くが、非常勤先では偉そーに話すのは読者も共感してくれるのではないかと思う。つまりこれが分人というわけである。これは、ハイデガーの「世界劇場」の考えに通じていること思う。ハイデガーは人は劇場という大きな舞台の上に生きていて、その場面、場面で様々な自分を演じているという。ただ、平野は演じるというのは少し違うと論じている。いづれにしても、私たちは一人の私として生きているのではない。それゆえ、時に厄介な感情に悩まされることがある。

 

自分探し

先に書いた「旅」に関連していえば、よく「自分探しの旅」をしている人がいる。旅すること自体は悪くないのだが、果たして自分が見つかるかどうかは不明だ。それよりも、新しい自分の「分人」に出会えるかもしれないというのが実際だと思う。筆者は日本では慎ましく、おしとやかに生きているつもりだが、海外に出ると少し大胆になる。赤信号は止まりません。電車では混んでてもちゃっかり席に座ったり、全く知らない人が前後に駐車されている中に縦列駐車で入れようものなら、拍手を送ったりする自分がいて、自分でも驚く。はて、それはなぜだろう。同じ、私なのに、日本に戻って来れば3メートルもない短い横断歩道で信号を待っていたり、2つ以上の空席がないと電車は座らないし、駐車している運転手に拍手なんてしたこともない。問題なのは、どちらの私を私が好きかということではないだろうか。外国語が多少できるということもあると思うが、どうも日本よりもフランスにいる方が好きだ。それはフランスが好きだということもあるが、フランスにいるときの自分が何よりも好きなのだ。読者諸君にもそうした経験はないだろうか。

 

旅をするということ

話は少し変わるが、もし教師、とりわけ外国語や異文化理解を主とする教員になりたいと思うのであれば、旅行をすることは大切だと思う。私は授業で常に、勉強して、本を読んで、いっぱいバイトして、いっぱい旅をした方がいいと強調している。というのも、自分が見て、経験して、感じたことほど説得力のある話はない。私自身が中学生、高校生の頃、なんでも知っているかのように話す先生がいらした、だいたいそういう先生は生徒受けがいいのだが、私はそういう大人にはなりたくない。知らないことは知らないといい、わからないことはわからない、と素直に言える人になりたいとつくづく思う。だから、私は旅をする。その現地の人とかわすやり取りはどんな世界遺産よりも価値があると信じている。こうした旅の楽しみ方はもちろん、外国語の勉強をした人の特権だ。どうだろう、役に立つから、オリンピックがあるから英語をやりましょうなどとというのは、本気でコトバと格闘しなかった大人たちが言いそうなことではないか。

最後に、私が大学生の時のゼミの先生がおっしゃったことばをここで読者諸君と共有したい。

Le voyage, c'est l'amour ou la mort. (旅というのは、愛か死のどちらかだ)

 

関連書籍

平野啓一郎『私とは何か』講談社、2012年

古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』、講談社、2002年

特にハイデガー、生きること、死ぬことに興味がある方にはオススメ。大変わかりやく解説してくださっている。ページをめくるたびに、今いきているということが神秘的に思える。

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

 

ハイデガー=存在神秘の哲学 (講談社現代新書)

ハイデガー=存在神秘の哲学 (講談社現代新書)

 

 

 

History(歴史)

24時間テレビ

今年もまた24時間テレビが放送された。毎年、筆者は色々な思いを抱えながら適当に見る。もしも読者諸君にも、そうした複雑な思いをしているかもしれない。耳が聞こえない、五体満足ではないなど、様々な障害を抱えている人がテレビに出る。そうしたことで、病気や障害への理解が広まることは大変良いことだと思う。その反面、お涙頂戴とは言わないが、「かわいそう」と言わんばかりの演出に少々違和感を覚える。ここで、その賛否を議論したいわけではない。障害者であろうと、健常者であれ、また身体的には満足でも精神的な病を抱えている人は多くいるだろう。今回の番組を見て、一つ筆者も何か伝えたくなった。今日はhistoryについて考えて見たい。

 

History

Historyは中学校で習う基本的な英単語の一つである。意味はもちろん「歴史」。もしも読者の中にフランス語学習経験がある方は、historeという単語(発音は「イストワール」)をご存知だろう。これは「歴史」と「物語」という二つの意味を持っている。ところが、英語に入る際に、これらがhistoryとstoryという別々の単語として使用されるようになったのである。さて、社会言語学の観点から考えると、この単語は男女差別を表しているという。お気づきになるだろうか?his storyであって、her storyではない。一見くだらないように思われるが、わりとこうした性に関わるものは現在、ジェンダーフリー化に向かっている。例えば、有名な例で言えば、chair-manはchair-personと置き換えられることが一般となった。大学受験などの長文でmanが出てくると、ついつい男と訳してしまうが、往々にして「人」という訳が当てはまることがある。ところが、逆のwomanは女性という意味しか持っていないどころか、よく見ると、wo + manという形態であることがわかる。筆者は歴史的な背景はおろか、歴史言語学など守備範囲外なのでこれは想像だが、『旧約聖書』では、イブはアダムの肋からできたと言われていたように記憶している。つまり、男から生まれてたという逸話の名残なのかと推測している。もし専門的にご存知の方がいればご教示願いたい。しかし、his storyというのは全くの見当違いで、なぜならもとはフランス語のhistoireであったことがそれを証明している。ちなみにフランス語でhisに当たるのはson [sa]になる。前者は男性名詞につく場合で、[ ]内は女性名詞につくものである。だが、今日は強引にもhis storyという立場から、人生について考えたい。

 

Every one has his own "history".

テレビに出ている人だけが、輝いている、あるいはとりわけ挫折や病気をしたり、克服していると思うことはないだろうか。今日見た24時間テレビにはダーツの旅的など私たちと変わらない(現に有名人と私たちは人間という点で等しいが)一般人が自分たちの生い立ちなどを語っている場面が印象的であった。そう、私たちだって、私たちのhistoryがあるのだ。それは決して誇れるものでも、感動的なものではないかもしれない。それでも今、ここに至るまでの軌跡は何にも変えることのできないhistory、すなわち「自分の物語」であることを忘れてはならない。私的であるが、筆者は特に派手な生活をしているわけでもなく、友人と飲みに行くことも少なく、連れがいるわけでもない。無論、五体満足に生まれ、これまで健康に生活できたことは幸せである。どういうわけか、筆者の友人には美男、美女が多く、彼らの楽しそうな話を聞いていると、たびたび羨ましいと思う。たまにはパーっと遊んだり、セックスだってしたい。はて、筆者のhistoryとは何だろう。おそらく語るに事足りない、薄い人生であろう。自慢することなど何にもない。失うものもない。親より1日でも長く生きれば、とりあえず良いだろうぐらいにしか思っていない。筆者は双子座の生まれで、言葉を操るのがうまい星だと高校の先生に言われたことがあった。確かに、これまで下手の横好きで英語とフランス語を細々と学び、アルバイトで稼いがお金で一人で、時に友人と海外旅行に出かけた(現在も親のスネをかじりつくして、旅行に行く)。特に、友人と海外で語らうことほど大切なものはない。おかげで、何を見たか、写真を見返してもよく覚えていないが、不思議と誰とどんな話をしてたかは鮮明に覚えている。想像できるだろうか。地元の人で賑わう店内に、ワインを片手に食事し、語らう瞬間、「あー、なんて人生は素晴らしいんだ!」としみじみと感じる。話したことを再現しようとしても陳腐になってしまうが、筆者の心の中にしっかりと刻み込まれている。これが筆者のhistoryなのだろう。何も特別なことではない。さて、読者諸君にはどのようなhistoryがあるでしょうか。

 

果てしない物語

実は「果て」はあるのだが、その時がいつかはわからないので、当面の間は「果て」だということにしておこう。生きていればいろんなことがあるのは世の定め。時に、喜び、時に悲しみ、嫉妬だってするだろう。「あーなんで、自分はダメなんだ」そうして自分自身を傷つけしまうこともあるかもしれない。でもそんな時は、思い出して欲しい。自分には「自分の物語」があるということを。物語は歴史であったことはおさらいだ。何処かの国は例外であるが、基本的に歴史を変えることは不可能だ。だが、これからの人生はいくらでも可能性がある。なんせ、自分の物語の書き手は間違いなくあなたであるから。その物語を紡ぐのはいつだってあなたのペンなのである。時にはがむしゃらに書きなぐり、疲れたらしばし筆を置こう。でも、決してそのペンを手放してはならない。筆者もまた自分自身にそう言い聞かせたい。まだまだ、物語は始まったばかりなのだ。ところで、9月1日は18歳以下の自殺率が高いと聞く。もしこんな拙論を見てくださっている小中高生の方がいれば、ぜひこのことを心にとめてほしい。世界はあなたのためにあるのだ。

 

おわりに

筆者自身、若く、どうしたらいいのかわからないことがたくさんある。非常勤では働いているものの、学籍がついており、大学院に進学し学びを続けている。好きでやっていたって、うまくいかないことの方が多い。ひどい時は、なんでこんなことしているんだろう?と思う時だってある。周りは働いて、早い人は結婚だってしている。自分で描けると言っても、想像力もまだまだ乏しい。これからどうなるかはわからない。それでも、きっと今日よりも明日の方がより素晴らしいと思ってこれからも生きていきたい。しかし、たまには、振り返ってみることも大切だ。そこには自分だけの物語が広がっているに違いない。

 

英語史に関連する書籍

寺澤 盾『英語の歴史』中央公論新社、2008年

堀田隆一『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』研究社、2016年

堀田隆一『英語史で解きほぐす英語の誤解』中央大学出版、2011年

いづれも読みやすい。

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)

 

 

 

英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史

英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史

 
英語史で解きほぐす英語の誤解―納得して英語を学ぶために (125ライブラリー)

英語史で解きほぐす英語の誤解―納得して英語を学ぶために (125ライブラリー)

 

 

「wifiがない!」と叫く日本人

我が高校生活

さて、言語学とはあまり関係のないことをつらつらと書きたい(どうも飽き性なのか、忙しいのか、何かを続けることが極めて不得意。)。筆者は田園風景が延々と続くのどかな、程よい田舎に育った。中学までは地元でお世話になったが、英語というなんともエキゾチックな学問を究めたいと思い、県内唯一のちゃんとした国際科の高校になんとか進むことができた。余談だが、高校名に「国際」か「総合」がついたらヤバイことの方が多い。我が高校はその点、救われていた。田舎から2時間もかけて通った高校は、それはそれは国際色豊かな高校だった。留学生こそ少なかったものの、帰国子女とかいう今まで聞いたこともないようなえげつない発音でペラペラと英語を話す軍団がいた。まあ、帰国子女といってもピンキリで、理解できても、話せないなど程度が様々である(これはこれで、しっかりとしたトピックになるが今日はそんな元気もないので割愛。)。そんなわけで海外への憧れが日に日に増していった。幸運にも海外とは全く縁がなかった我が家も、父が夏休みにホームステイに行かせてくれた。さらにその後、父はフランスへ単身赴任することになり、今では「パリ?やだ、パリなんて庭ですわよ〜」と外で称すほど、ミーハーな一家となった。

 

「日本はダメだ」と嘆く友

高校の友人はというと、海外にバンバンと出て、今では立派な国際人となった。もちろん年齢からいえば、まだ学部生ですとか、院生ですとか、社会人になりました、というくらいである。先日もドイツから帰った来た友人に会って、色々と話を聞いたりした。興味深いことに、(読者諸君も心当たりがあるかもしれないが)ヨーロッパやアメリカから帰って来た人は皆、口を揃えていうことがある。それは、「ホント、日本てダメ。まるで保守的。海外はみんなクレジットカード、wifiなんてそこらじゅう飛んでる。」事実、筆者は海外に行ったことはあるが、住んだことはない。なので、その実態を彼らほど知っているわけではないが、確かにネット環境は盛んだし、会計はほとんどクレジットカード払いである。彼らの言いたいことはわかる。だから「そうだね」と返すしか筆者にはすべがないのであるが、内心では「あんた一体なんなの?そんなこと他所でいったら友達いなくなるよ」と勝手に思っていたりする。

 

ふたつの視点

もしかすると中学校でも習うかもしれないが、物事には多面性というものがある。つまり常に物事は色々な見方があるということだが、この「日本が〜」というのもこれであろう。こうした発見自体は実に良いことだと思う。まさに(言語によらない)異文化体験で、大変貴重である。ただ、どうしてだろう、筆者の悪性が滲み出るのか、「だからなに?」と思ってしまう。「パリは街中にwifiがいっぱいあるのに、なんで日本はないの」。これはあくまでも個人的な見解だが、パリだからネット環境が整っているのでしょう。観光客だって日本の比にならない。だからと言って、東京にもネットに無料で接続できるところもある。だいたい、留学する先はかなりの場合、大都市であって普通の住宅地が密集するような程よい田舎ではない。だからネットが盛んなのでは?あなたはその国を歩き回って、どこでもwifiが繋がるのか確かめたの?と意地悪な質問をしたくなるのは、筆者の良くない癖である。ネットということで言わせてもらえば、一般にスマホを持っていれば、LTEだかなんだか知らないが、接続できるのに、どうして公共wifiにこだわるのだろうか。訪日する人への心配り?困っている人がいたら、助けてあげなさいよ。英会話だの、英語教育とひっきりなしの毎日、それくらいできるでしょう。

 

wifiがない!」と叫く日本人、wifiがないなら、人に聞く外国人

筆者はこれまで20を超える国と地域に行ったことがある。その度に、外国人観光客に出くわし、レストランで待っている時など、「ちょっと」とおしゃべりを楽しむことがある。これこそが旅の醍醐味であるが、そんな彼らはwifiがビュンビュン飛んでいるような国や地域でも分厚い「地球の歩き方」のようなものを持ち歩き、立ち止まっては読み、名所名所ではその説明を音読したりしている。以前、イタリアのフィレンツェで美味しいと評判のお店を予約して行ったとき、列の前の観光客(フランス人とイタリア人のご夫妻)に「予約しました?」と尋ねたことがあった。すると、「予約するの?ありがとう。早速電話するわ」というやり取りをしたことがあった。ちょっとおかしな話だが、そんなこんなで彼らは旅行を楽しんでいる。ところが、日本人ときたら、どこへ行っても、スマホしか見ない。聞けばいいのに、自力でなんとかしようとする。google mapについて行っては道がないだのと騒ぎ始める。そもそも、日本人のスマホ依存は普通ではない。何が面白くてそんなにアプリだのゲームだのするのだろう。それじゃデータ通信の制限もかかるわけだ。そもそも、wifiがなんとかと言っている時点で筆者こそ「あー日本人だな」としみじみ思う。私事だが、父がフランスへ移住してから、フランスとの関わりができ、日常を観察する機会があるが、誰もwifiがどうのとは言ってない。だいたい、新聞を広げ、「移民」「就職」「テロ」「選挙」と言った社会情勢について議論しているように思う。日本はどうだろう。お隣からミサイルが飛んでくるかもしれないと言っているのに、wifiが飛んでいるかいないかの方が大切なのだから、つくづくおめでたいと思うこの頃である。

 

「日本は」と嘆くことのできる日本人

「日本は」と嘆くことのできる日本人は幸せである。自分が生まれ育った祖国が国として存続し、明日へと奮闘している。確かに筆者も「全くこの国は!」と憤慨することは多々ある。たとえば、くだらない芸能ニュースを朝から見なければいけないこと、議員の汚職ご意見番と言われて喋るオツムの悪い芸能人、そもそもお笑い芸人が報道の司会者になること自体よくわかならい。枚挙にいとまがないが、これも多少なりとも異国を知って、なおかつ日本人であるから言えることである。言論の自由がない国、祖国のない人々、異文化を知ることのできない人。世の中にはもっと厳しい環境下にいる人がいる。もちろん、行ったこともない国を挙げて、ほらwifiのない国もあるんだよ、などと言うつもりはないが、少なくとも私たちにはもっと考えなければいけないことがあるのではないか、と思ってしまう。

アソコのこそあど

「こそあど」とは

小学生の頃、よく「こそあどことば」といって、何かを指示するときに使うものだと習いました。例えば、モノを指し示すときには、「これ」「あれ」「それ」「どれ」と言ったり、人であれば、「こなた」「あなた」「そなた」「どなた」と言ったります。右にいくにしたがって、その対象と話し手との(物理的・心理的)距離が遠くなっているようです。

 

「直示」という考え方

こうしたいわゆる指示語は言語学(とりわけ語用論:ことばが使われる状況で意味の解釈が変わる)で扱われ、正式には直示と日本語では言います。英語のままダイクシス(deixis)と言ったりもします。つまり、「これ」が常に「私のお気に入りの水筒」を指すとは限りません。「あなた」と言っても、その「あなた」は「太郎」にも「花子」にもなり得るわけです。さらに、「私」「お父さん」「おばあちゃん」などは人称直示と言ったり、「今日」「明後日」などは時間直示と言ったり、「ここ」「あそこ」は場所直示と言ったりもします。ただ、直示を実際に触って指し示すもの、そうではないものを照応といって使い分ける場合もあるようです。これについては、加藤(2004)などを参照してください。

 

ナゼ「アソコ」なのか

さてさて、お待たせしました。それでは、なぜ「アソコ」は常に「アソコ」を指すのでしょうか。いえ、「常に」というのは誤解がありました。例えば、

花子:このあいだのイタリアン美味しかったよね〜。

太郎:だねー、またあそこいこうよ。

この場合はイタリアン(レストラン)を指しているので、前後から判断することが可能でした。しかし、我々が今日解き明かしたいのは、こっちの「あそこ」ではなく、あっちの「アソコ」です。カタカナで書くと若干いやらしいですが、往々にしてそう表記されることが多そうなのでそうしてみます(筆者は極めて真面目な性格であり、みだらなサイトを閲覧することなど・・・)。

さて、いい感じの二人が(特に男女のカップルといった設定ではありません。21世紀はジェンダーフリーです)「ねえねえ、アソコおおきい?」。と言われたら、あなたはなんと返しますか。(まあまず、こんなことはないです)

①(本当は分かってるのに、揚げ足取られることを恐れ、眉を寄せながら)「え、どこ?」

②(笑いながら、ときに喜びながら、時に恥ずかしながら)「それほどでも・・」

③(きっと育ちがよいのでしょう)「・・・(無言)」

④「うん、駅前の温泉の方が広いよ」

このほかにも色々な返答は考えられますが、だいたい「アソコ」が単体で用いたれた場合は「性器」を指していると慣習的に理解できると思います。先ほども言いましたが、文字にしてみるといやらしいです。音声で聞こえた場合はレストランも「アソコ」と同じ発音です。ただし、発音する時にいつもよりも言いにくそうだったり、「ア・ソ・コ」とゆっくりためるように発音した場合は違うかもしれません。

 

「アソコ」の語用論・社会言語学

直示(あるいは照応)はその場その場のコミュニケーションの中で何を指しているのかを理解していくことばですが、日常的には(年代によりますが)セクシュアルな意味で用いられていることが経験的に理解できるかと思います。でも、なぜ人は例えば「ちん(ピー:自主規制)」「ま(ピピピー:自主規制)」と言えないのでしょうか。まあたまに耳にしますが、だいたい「育ちが悪いのかな」などと余計な老婆心がでちゃったりします。ひとことで言えばそれを「社会」が許してくれないのです。実は非常勤で教員もしているのですが、とある授業で(前後関係があったと思いますが、聞いていませんでした)いきなり(女性の)学生が「ちんぽ!」と連呼し始めたことがありました。これにはなんと返答していいやら、冷や汗ものでしたが、帰宅途中、「あれ、なんで『ぽ』だったんだ?」と真面目に考えました。理由はよくわかりませんが、「こ」よりも「ぽ」の方が可愛く聞こえます。オブラートから出ちゃってますが、周りはまだ「やだー」と笑って対応していました。「こ」だったら・・・。というように、人は性など極めてプライベートなことを直接的に表現することを避ける生き物です。こうしたことはよく「タブー」と言われます。筆者はよくふざけて「おしっこ」と平気で女性に言えますが、普通なら「お手洗い」などと言うでしょう。最近では「トイレ」は綺麗なイメージがあるので、そう言うこともしばしです。

 

「ア」系列は遠い(距離説・領域説)

あれ、あそこ、あっち、あの人など、「ア」が付いていると、それは話し手からも聞き手からも遠いということはなんとなくわかります。それをざっくり、遠い距離を感じる、実際にあるよね、というのを距離説といい、話し手と聞き手の領域以外にあると説明する人は領域説などといったりするようです。ただし、反論もあるようなので、ここでは加藤(2004:167-168)の「アクセス説」から見てみたいと思います。ア系は「なんらかのアクションを起こしてもアクセス可能になると必ずしも見こめない、また、アクセスするにはさらに手間をかける必要があると見こまれる対象の指示にはア系を用いる」つまり、やたらめったにいとも簡単には行って、触ることは難しい、というところでしょうか。例えば、

花子「やっぱり新婚旅行は芸術の都、パリよ!」

太郎「でもなー、ヨーロッパ遠いし、あそこは物価高いよ」

いま二人は日本にいて話しているとすれば、パリに行くには、まずチケット取って、パスポートがなければ申請して、空港にいって、12時間飛行機に乗って・・ああ気が遠くなりそうですが、こういった具合です。しつこいですが、「アソコ」は無論、直接アクセス可能です!なんなら確かめることはできます。ですが、やはり「ココ」ではなく「アソコ」なんですね。

結論

単に、「アソコ」というのは直接的に言うのがためらわれるから、遠回しに言っているんだ、と言う結論はあまり面白くありませんが、結局はそのようです。ただし、現段階で「あそこ」と辞書を引いても出てきませんし、無論、指示語に変わりありません。すぐ上で領域説に触れましたが、話し手も聞き手も「アソコ」と言うと本当は自分に備わっているものなのに、あたかも別の遠いところにあるかのようなニュアンスが感じられます。こうして世界には何十億という人がいて、つまり性器が身近にあるのに・・。アダムとイブが禁断の果実を食べたとき、羞恥心が芽生え、裸でいることが恥ずかしく、衣服を着る習慣ができました。もちろん、誰かと会って、イコール「性器」と考えるのは危ないですが、洋服で見えない!それゆえに、何か不思議でそう簡単には(他者の物であれば)手に取れないので「アソコ」と日本では表現しているのかもしれません。日本語の、こなた、そなた、あなた、どなたは英語では'you'で表現できてしまうのは、なかなか複雑な心境です。ちなみに「アソコ」は英語では'that'とは言いません。距離の表現では、いわゆる「オネエ」をあっち、とかこっちと言うことがありますね。なかなか面白くなってきましたが、それはまた別の機会に考えることにしましょう。

 

こんなハレンチな拙論に参照して申し訳ないのですが、下のテキストはとても真面目なものなので、ご参考ください。

町田健編、加藤重広『日本語語用論のしくみ』研究社、2004年

 

日本語語用論のしくみ シリーズ・日本語のしくみを探る (6)

日本語語用論のしくみ シリーズ・日本語のしくみを探る (6)