かめれおんの日記

どこにいくにも、なにをするにも、まわりが気になってしかたありません。電車で本を読んでいても、ほら、面白そうな人が乗り込んできた。おやおや、あそこではなにを話しているのだろう。なんてことない日常をありのままに見つめる。

マイナンバー

昨日はコトバの特性、とりわけ名詞について書いた。つまり、名詞というのはあくまでも記号であり、便宜上、コミュニケーションのために意味を付け加えているようなものだ。

もちろん、我々の名前も名詞であるが、「つくえ」とはちょっと違うし、違うと信じたい。

確かに、自分と他人とを区別するために名前は使われるので、たとえば「つくえ」が「みかん」とは違うように機能する。しかし、「つくえ」はたまたまtsu/ku/eという音の連続体であって、「つ」に木という意味があって、「く」に4本の脚という意味があって、「え」に家具という意味があるわけではない。

しかし、私たちが持っている名前には「意味」がある。小学校のときだったか、授業で「おうちの人に、自分の名前の由来を聞いてきてください」といわれたことがあった。とくに日本人は漢字やひらがなと表記にバリエーションがあるので面白い。

だいたい、学年にひとりはいるだろう「健太」くん。これは「健やかに、のびのびと、大きく育ってほしい」という願いがこめられていることがわかる。ちなみに私の名前の由来を親に聞いたところ、たまたまやっていたドラマの主人公の名前を取ったというので、果たして?

だが、近年の個人情報保護を考慮してか、数字などによる番号で表されることが多くなった。たとえば私の学籍番号が10096だとすれば(ある特定のコンテクストにおいて)、これで「私(筆者)」を表すことができる。ポテトチップスの袋の裏に製造番号みたいのがついているが、あの手の考えと同じだろう。

事務的な作業においては便利なのはわかるが、なんだかすこしさみしい。名前があるにも関わらず、講義なんかで名前を覚えてもらえずに「きみ」などと1年間も呼び続けられたものならたまらない。その点、欧米文化では名前を呼び合うのはすこしうらやましくも思う。

ゴダイゴの歌に「ビューティフル・ネーム」があるが、まさにその通り。

マイナンバー?余計なお世話。