ロゴスの使いーことばのふしぎ発見ー

人とことばは切り離すことはできない関係にあります。筆者の関心のある言語学(社会言語学・談話研究・語用論)の知見から、時には言語教育や海外事情など、言語と社会について書いていこうと思います。何も難しいことではありません、何気無く使っていることばを、ちょっと立ち止まって考えて見ませんか。

「wifiがない!」と叫く日本人

我が高校生活

さて、言語学とはあまり関係のないことをつらつらと書きたい(どうも飽き性なのか、忙しいのか、何かを続けることが極めて不得意。)。筆者は田園風景が延々と続くのどかな、程よい田舎に育った。中学までは地元でお世話になったが、英語というなんともエキゾチックな学問を究めたいと思い、県内唯一のちゃんとした国際科の高校になんとか進むことができた。余談だが、高校名に「国際」か「総合」がついたらヤバイことの方が多い。我が高校はその点、救われていた。田舎から2時間もかけて通った高校は、それはそれは国際色豊かな高校だった。留学生こそ少なかったものの、帰国子女とかいう今まで聞いたこともないようなえげつない発音でペラペラと英語を話す軍団がいた。まあ、帰国子女といってもピンキリで、理解できても、話せないなど程度が様々である(これはこれで、しっかりとしたトピックになるが今日はそんな元気もないので割愛。)。そんなわけで海外への憧れが日に日に増していった。幸運にも海外とは全く縁がなかった我が家も、父が夏休みにホームステイに行かせてくれた。さらにその後、父はフランスへ単身赴任することになり、今では「パリ?やだ、パリなんて庭ですわよ〜」と外で称すほど、ミーハーな一家となった。

 

「日本はダメだ」と嘆く友

高校の友人はというと、海外にバンバンと出て、今では立派な国際人となった。もちろん年齢からいえば、まだ学部生ですとか、院生ですとか、社会人になりました、というくらいである。先日もドイツから帰った来た友人に会って、色々と話を聞いたりした。興味深いことに、(読者諸君も心当たりがあるかもしれないが)ヨーロッパやアメリカから帰って来た人は皆、口を揃えていうことがある。それは、「ホント、日本てダメ。まるで保守的。海外はみんなクレジットカード、wifiなんてそこらじゅう飛んでる。」事実、筆者は海外に行ったことはあるが、住んだことはない。なので、その実態を彼らほど知っているわけではないが、確かにネット環境は盛んだし、会計はほとんどクレジットカード払いである。彼らの言いたいことはわかる。だから「そうだね」と返すしか筆者にはすべがないのであるが、内心では「あんた一体なんなの?そんなこと他所でいったら友達いなくなるよ」と勝手に思っていたりする。

 

ふたつの視点

もしかすると中学校でも習うかもしれないが、物事には多面性というものがある。つまり常に物事は色々な見方があるということだが、この「日本が〜」というのもこれであろう。こうした発見自体は実に良いことだと思う。まさに(言語によらない)異文化体験で、大変貴重である。ただ、どうしてだろう、筆者の悪性が滲み出るのか、「だからなに?」と思ってしまう。「パリは街中にwifiがいっぱいあるのに、なんで日本はないの」。これはあくまでも個人的な見解だが、パリだからネット環境が整っているのでしょう。観光客だって日本の比にならない。だからと言って、東京にもネットに無料で接続できるところもある。だいたい、留学する先はかなりの場合、大都市であって普通の住宅地が密集するような程よい田舎ではない。だからネットが盛んなのでは?あなたはその国を歩き回って、どこでもwifiが繋がるのか確かめたの?と意地悪な質問をしたくなるのは、筆者の良くない癖である。ネットということで言わせてもらえば、一般にスマホを持っていれば、LTEだかなんだか知らないが、接続できるのに、どうして公共wifiにこだわるのだろうか。訪日する人への心配り?困っている人がいたら、助けてあげなさいよ。英会話だの、英語教育とひっきりなしの毎日、それくらいできるでしょう。

 

wifiがない!」と叫く日本人、wifiがないなら、人に聞く外国人

筆者はこれまで20を超える国と地域に行ったことがある。その度に、外国人観光客に出くわし、レストランで待っている時など、「ちょっと」とおしゃべりを楽しむことがある。これこそが旅の醍醐味であるが、そんな彼らはwifiがビュンビュン飛んでいるような国や地域でも分厚い「地球の歩き方」のようなものを持ち歩き、立ち止まっては読み、名所名所ではその説明を音読したりしている。以前、イタリアのフィレンツェで美味しいと評判のお店を予約して行ったとき、列の前の観光客(フランス人とイタリア人のご夫妻)に「予約しました?」と尋ねたことがあった。すると、「予約するの?ありがとう。早速電話するわ」というやり取りをしたことがあった。ちょっとおかしな話だが、そんなこんなで彼らは旅行を楽しんでいる。ところが、日本人ときたら、どこへ行っても、スマホしか見ない。聞けばいいのに、自力でなんとかしようとする。google mapについて行っては道がないだのと騒ぎ始める。そもそも、日本人のスマホ依存は普通ではない。何が面白くてそんなにアプリだのゲームだのするのだろう。それじゃデータ通信の制限もかかるわけだ。そもそも、wifiがなんとかと言っている時点で筆者こそ「あー日本人だな」としみじみ思う。私事だが、父がフランスへ移住してから、フランスとの関わりができ、日常を観察する機会があるが、誰もwifiがどうのとは言ってない。だいたい、新聞を広げ、「移民」「就職」「テロ」「選挙」と言った社会情勢について議論しているように思う。日本はどうだろう。お隣からミサイルが飛んでくるかもしれないと言っているのに、wifiが飛んでいるかいないかの方が大切なのだから、つくづくおめでたいと思うこの頃である。

 

「日本は」と嘆くことのできる日本人

「日本は」と嘆くことのできる日本人は幸せである。自分が生まれ育った祖国が国として存続し、明日へと奮闘している。確かに筆者も「全くこの国は!」と憤慨することは多々ある。たとえば、くだらない芸能ニュースを朝から見なければいけないこと、議員の汚職ご意見番と言われて喋るオツムの悪い芸能人、そもそもお笑い芸人が報道の司会者になること自体よくわかならい。枚挙にいとまがないが、これも多少なりとも異国を知って、なおかつ日本人であるから言えることである。言論の自由がない国、祖国のない人々、異文化を知ることのできない人。世の中にはもっと厳しい環境下にいる人がいる。もちろん、行ったこともない国を挙げて、ほらwifiのない国もあるんだよ、などと言うつもりはないが、少なくとも私たちにはもっと考えなければいけないことがあるのではないか、と思ってしまう。