ロゴスの使いーことばのふしぎ発見ー

人とことばは切り離すことはできない関係にあります。筆者の関心のある言語学(社会言語学・談話研究・語用論)の知見から、時には言語教育や海外事情など、言語と社会について書いていこうと思います。何も難しいことではありません、何気無く使っていることばを、ちょっと立ち止まって考えて見ませんか。

家族というコミュニティ

家族

もはや、言語学に関係などあらず。友人にも告知せずにブログをやっているので、アクセスが伸びる日などは、何を間違えてこのブログに来てしまったのだろう、と思うのである。だから、気兼ねなく適当なことを書き続けていきたい。ましてや今日の話は昨日感じたことを忘れないためのメモである。

我が家は昨日、曽祖母の3回忌の法要を終えた。この時代には珍しい少し大きな家族で出来ている。ただし、純粋に、苗字が同じということではない。曽祖母の家がもともと養子をもらっていたり、そういう関係で2家に分かれ、その子供が結婚し、そこから孫やらひ孫が生まれ、現在では4つの苗字で一つの家族というコミュニティが形成されている。苗字こそ4つだが、家族はそれ以上にいるわけだから、一緒に食事しても会話はあちこちで別々に行われている。

曽祖母(享年93歳)の生前、その旦那(つまり筆者の曽祖父)の50回忌をやったことがあった。これは大変、珍しいことである。だいたい、それまでに共倒れしてしまう。

筆者は本家(というのも仰々しいが)の初孫であり、とりわけ可愛がられた。小さい頃は毎週のようにおばあちゃんを訪れ、何か行事があれば、お団子を作ったり、餅をついたりした。お小遣いだって行くたびにもらえた。人はいつか終わりを迎えることなど、はなからわかりきっていたことだ。しかし、ずっとおばあちゃんはおばあちゃんであり続けると思っていた。お盆には牛馬さんを作り、庭からほおづきをとって飾り付けたり、おしょろさん(とよくおばあちゃんは言ってた)にご飯をお供えしたり。とりわけ、おばあちゃんの煮物は美味しかったし、天寄せ(フルーツの寒天)が好きだった。しかし、一昨年の今日(だったと思うが)、亡くなってしまった。

思い出はまだまだ尽きないが、それは心の中にしまっておこう。みんなで食事をしている時に、その家を処分するだとか、遺産相続の話に及んだ。まあ、そもそも筆者のような若造には決定権もなければ、口出す資格はないし、遺産なんかもらえない(そんなものがあるのかも怪しい)。結局、本家の長男は実家を離れ家族を持っており、実家に戻る気もないという。長男というのは曽祖母の息子夫婦の息子のことで、おばあちゃんの孫であり、筆者の父とはいとこになる。いづれにせよ、その長男はその家を両親が亡くなったら、処分する考えでいる。筆者はそれは悲しい、思い出がいっぱい詰まった家だが、それを決める本人が一番辛いに決まっている。だから、そのことについてはおじさんの考えを尊重したい。だが、それではいけないという人も中にはいる。皆、それぞれの立場があることは十分わかる。けれでもかなり真面目な話し合い(ひいおばあちゃんの話なんて全然出てこない)で、少し怖かった。

筆者は全面的にそのおじに賛成である。というのも、家1、2軒壊すくらいで騒がないで欲しい。みんな悲しい。そこで育ったものがいる。お盆にはみんなで花火をしたり、正月には箱根駅伝を応援したり、そんな家を壊してほしくはない。だけど、おばあちゃんが残したのは、残したかったのは、そんな家じゃない。おばあちゃんがいるというだけで、個性豊かなこの家族は今まで保たれてきた。直接的に血は繋がってないかもしれない、けれどもやっぱり家族なのだ。おばあちゃんがいつも言っていた「みんな仲良くしなさい」を今一度思い出して欲しい。家族という形がどんどんと変化して行く中、これほど奇有な大きな家族はいない。おばあちゃんがおよそ1世紀かけて作ってくれたこの家族を家を潰す、潰さないのくだらない話で関係が悪化するようなことがあれば、それこそ祟られるだろう。これから死んでいく人も多い。今までのように集まることができなくなる日も来るかもしれない。それでも、命ある限り、みんなで仲良くしていきたい。これが今思う願いである。